情報商材いろいろありますが、わたしはnoteというサイトで売られている読み物を買うことがあります。
正確にいうと、ありました。
そして、もう購入はしないと決めました。
情報商材=web上の出版物
noteを見てもお分かりのとおり、ブログとか日記のような作品が並んでいます。
そこにみなさん自分で妥当だと思われる値段をつけて売っています。
例えば、「ブログの始め方」「Twitterで1万人フォロワーを増やす方法」など。
すべての作品が有料というわけではなく、無料で公開されているものもあります。
情報商材の値段は誰が決める?
いくつか買ってみて勉強になったものもあれば、この値段でこの内容はあり得ない、と思うものもあります。
しかし、情報商材の金額を決めるのは作った人です。
つまり、作った人の言い値で買うものなので、商材の内容と金額が見合ったものかどうかは購入してみないとわからない。
本屋のように立ち読みできるものでもないので、その作品を読んだ人たちの感想を読んで判断するしかない。
以前、数千円で購入した作品があるのですが、開けてびっくり。
これでは桁が違う。
数百円、いや、お金を払ってまで買うものではないと後悔したことがあります。
それ以来、noteで売られている情報商材には手をつけないと決めました。
しかし、そういう場合であってもわたしはそう感じたが他に購入した人は勉強になった、値段に見合った良い商材だ、と思ったかもしれません。
内容に見合った金額設定とは
噂によると、商材の内容はそれほどでもないのに周りがあおって釣り上げていることがあるらしい。
中には数万円という値段の商材もあります。
果たしてそれだけの価値があるのかどうか。
書いてある内容紹介や序章のようなものはあるが、チラ見せもない、しかしレビューはある。。
そのレビューも「やらせ」ではないのか?
と疑うようになる。
いわゆる「インフルエンサー」が作った作品だから間違いはないはずだ。
とも言えないらしい。
何をもって「間違いない」と言うか、です。
公平、公正な目で審査されていない情報商材がちまたにあふれている。
「嫌なら買わなければいい」
「読んで失敗した、と思うかもしれない、だったら買わなければいい」
そういう問題でしょうか。
それこそ悪意とまでは言わないかもしれないが儲け主義人間が作っているかもしれない。
現に、高額な商材を作っている人はある程度商材が売れた時点でSNSなど、「ちまた」からいなくなっているケースが多いように思います。
気のせいかもしれませんが。
自分だけ稼ぎたい?稼いで何をしたい?
家計が苦しくて少しでもブログや商材で稼ぎたい、生活を潤わせたい。
そういう人はたくさんいる、現にすごくがんばって稼いでいる人もいる。
しかし数千万円、数億円稼いでいる、あるいはそれを目標とする人は一体なんのためにお金を稼いでいる、稼ぐのか。
あまり贅沢せず毎日を過ごすならそれほど稼ぐ必要はないはずですよね。
何を「目的」として稼いでいるのだろうか。
不思議です。
稼いでいく過程で、みんなも潤うようなシステム作りをしたい。
「あの人は頑張らない、頑張っていないからどうでもいい」ではない、と思うのは甘いでしょうか。
頑張っていない人、ではなくて、「頑張りたいけれど頑張れない理由がある」かもしれない。
「頑張ってみたけど、頑張っているけど頑張る方向を修正すると楽になる人がいる」かもしれない。
あなたはそうやってみんなに甘いから裕福になれないのだ、と言われても、どうしてもそんな風に考えてしまう。
確かに、偏った考えかもしれません。
富を得たら分かち合う、分かち合いたい。
テイクしたらギブする。
ギブばかり、テイクばかりだと歪みが生じていく。
なのに、
うまく富を得ることができないものは切り捨てられる。
そんな気がして仕方ないのです。