前回は、今年、2021年を考えてみました。
年齢的なこともあるかもしれませんが
形あるものへの執着がだんだんなくなってきています。
若い頃だと、旅行したい、服がほしい、
あそこのあれが食べたいなど興味や欲求があったんですが
今は、
今いるところでいまもっているもので
旬のものを食べて生活する、
それが一番うれしい。
と思うようになりました。
50代の未来予測 風の時代ってなに?
今年は風の時代、ということをよく聞きます。
調べると、占星術では
「風の時代に入った」らしいですね。
でもそれは必然じゃないだろうか。
昨年があのような状態でなくても
毎年そういうことを言われていないだろうか。
昨年の転換期を経て、
いま、あらためて原点を振り返ったのかもしれません。
形あるものいつか壊れる、なくなる。
生きている限り精神的なもの=形の無いもの、
繰り返し思うだろうし考えるだろう。
形あるものは生活していく上で
必要最低限あればよい。
あとは形のないものが生活を彩っていく。
形あるものにとらわれるかそうでないか。
形ないものを楽しめるかそうでないか。
今後の生き方過ごし方が大きく変わってきそうです。
50代の未来予測 形無いものに価値を見る
文章、音声、映像、味わい、香り、手触り。。
形のない五感に価値を見出すようになっていく。
すでに文章、音声、映像に対しては
価値がつけられているものもあるけれど
たとえばTwitterのツイートのこの人のこの刹那の言葉。
もしお金を払わないと読めないのであれば
それでもいい、読みたい、と思うかもしれません。
あのひとのなにげない一言が胸に突き刺さる。
あの言葉で人生が変わってしまうくらいの情動を覚えた。
いわゆるコンテンツと呼ばれるものたち、
ツイートのような刹那の言葉もコンテンツなのかと問われると
それらは十分にその価値はあるはず。
この香りは一嗅ぎ◯◯円です、
というコンテンツも現れるかもしれません。
例外としてファッションなどは
形あるものと無いものが伴うコンテンツです。
どちらにも価値があるけれど
形あるもの=洋服にそれほど執着しなくなってきている。
実際、いろんなレンタルが流行るように
洋服や時計、車、いろんな道具を所有しない時代に
なりつつある。
無形のコンテンツもレンタル、
というわけにはいかないけれど
有料の形のないコンテンツは
バラエティも広がってくるのでしょうね。
50代の未来予測 流行りのミニマルかつ豊かな暮らしが良いのかどうか
持っているものは最小限だが
知識や楽しむことは変化に富んでいる。
実際、住む家さえ持たない、
ノマドライフを楽しむ人もいる。
一方、根をおろしたくなる人もいる、
ものにとらわれる人もいる。
誰が勝ちで負けで、豊かでそうでなくて、
という優劣はつけがたいけれど
たとえば本はデータ化されていくように
ある程度、おしなべて所有するものは減っていく。
それが良いことかどうかはひとそれぞれ。
物が捨てられないマキシマリストも
反対に増えつつある。
自分がなにをどう選択するか。
その選択肢が増えていくのは明らかだけど。
ものを捨て風に乗ってどこへでも行く風の時代。
自由だと感じるけれどほんとうに自由になるのか、
かえって思考は制限されていないか、
行動をせばめられていないか。
風に乗って行ったとしてももし戻りたくなったら?
風の時代、と酔いしれる前にちょっと考えてみる、
へそ曲がりのわたしです。