以前、アメリカで5年間暮らしていました。
そのときは駐在員の前夫についていった、いわゆる駐妻でした。
実はアメリカでも仕事を得て滞在中、お手伝いをしておりました。
60代セミリタイア主婦 異国で働いた過去
20代からフラワーデザインを習ってインストラクター、そして教室を開いていたことがあります。
しかし夫の転勤によりその教室はたたむことになりました。
紆余曲折あってアメリカに来て、その頃はしばらく英語を習ったりしていましたが、わたしはなにかしたい欲がおさまらず、ある行動にでました。
フラワーデザイナーとして雇ってくれませんか、と、電話とメールでその街のあらゆる花屋、フラワー関係にあたってみたんです。
どこの誰ともわからないアジアの小娘が何を言ってるんだ、というかんじで相手にしてもらえなかったのはもちろんです。
しかし、50件くらいあたった中で一通だけメールが返ってきました。
彼女はヘレイナ、もちろんアメリカ人。
アメリカに滞在中、ほぼ週末をともにすることになるフラワーデザイナーでした。
彼女はウェディングのお花だけあつかっていて、ウェディング会場、たとえば教会やホテルなどの飾りつけ、ブライダルブーケだけを請け負っていました。
わたしは彼女の右腕となって毎回2人、多いときは3人くらいでブライダルフラワーを作って飾り付けしていました。
アメリカ滞在中、およそ5年間、ずっと彼女と花仕事をしていた。
目まぐるしくたいへんで、もう死にそう、ということもありましたが、なんとかやりぬいてきた。
たいへんだったけれどすごく楽しかった。
60代セミリタイア主婦 体当たりで得たものは仕事だけでなく
その当時、わたし=駐在員の妻のビザは働いても良いビザでしたが、あえて就職という形ではなくあくまでもお手伝いとして働いていました。
毎回いただけるものは、いわゆるギフトでした。そのほうが彼女にとっても良かった、と思う。
英語もたどたどしいのにアメリカで何か仕事を得ようと考え、きっとなんとかなる、と当時のわたしは思っていた。なんの確証もないのに。
実際、ヘレイナと出会えて幸運にも花仕事ができたことは生涯忘れられない経験です。
行動すればなにかしら形になる、と信じて疑わなかったわたし、それを受け入れてくれたヘレイナも相当変わった人間、でもお互いにラッキーを手に入れた瞬間だった、と思います。
今年数年ぶりに彼女と会ってきました。
「あなたがいなければあのときブライダルの仕事はできなかった。
あなた以上のアシスタントはいないと今も思う。ほんとうに感謝している」
一生のうち、こんな出会いはそうあるものではない、その当時の彼女とわたしは言葉の壁を超えてぴったり息があっていました。
がむしゃらにやってみる
駐在員の家族なのだから働かなくても暮らしていけた、もちろん。
それでもわたしは海外にいても何かやりたい、誰かの役に立ちたいと強く思った。
残念ながらそれは家族のためではなかったけれど、もうわたしの気持ちは家族から離れていたから。
ひとりになったとき、ひとりで生きていくことを模索していた頃でした。
アメリカに行く前にフラワーデザインの教室を作ったことも離婚したときのための一歩だった、それがアメリカに行くことで教室をたたまざるを得なくなった。
アメリカに行くことをすごく迷ったけれど、当時のわたしはひとりになることを迷っていた時期、勇気がなかった。
アメリカでかろうじて職を得て、自分ひとりで暮らせるほどの収入を得ることはできなかったけれど、その気になれば生きていくことはできる。
やるかやらないか。
やらないと何も起こらない。
やっても成功するとは限らないしうまくいかないこともいっぱいあった。
だけどやってよかったこともたくさんある。
異国で得た経験をふまえて、50代でセミリタイアしたいまがある。
これで落ち着いた?さて、どうでしょう?
vlogでは日々の暮らしをつづっています。
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