母との思い出を振り返るに、小さい頃から手を握った記憶がないしネガティブな言葉しか記憶にのこっていない。
かわいくない、どんくさい、集中力が足りない、愛想がない、などなど。
ほめられたことは皆無に近いかと思います。
こんな母に振り回された若い頃でしたが、いまになるとしかたがないのかも。とも思います。
親の支配下にあった幼少期
わたしの母親は地方の農家の出身で、8兄弟のうち2人女の子がいた中の次女として生まれ育っています。
地方の農家なので当然のごとく長男以外は家を出ていくことになります。
わたしの母は高校卒業後、自分の実家から一番近い都会、神戸で就職しています。
小さい頃は太平洋戦争、そして敗戦を経験し、貧しい生活をしていた、と話を聞きました。
父親も同じく農家の出身で大家族、次男だったので高校を卒業したら母親と同じ土地で就職。
母親と出会って結婚し、家庭をかえりみず夜遅くまで働く、という典型的な高度成長期の会社員です。
わたしの祖母はかなり前に亡くなっていますが、明治生まれの祖母だったので厳しいひとだったことは記憶にあります。
母親はそんな家庭で育ったので、自分の母親である祖母に甘えたりすることはなかったんじゃないかと思います。
子どもであるわたしに対してもどう接していいか、愛情の表現方法がわからなかったかもしれない。
高校までしか行けなかったわたしの母親はわたしたち子供たちが良い大学に行くことを望んでいました。
高校を卒業してすぐに実家を離れ、就職した母親は、わたしたち子供には高学歴で就職など人生の選択肢を広げて欲しい、という願いがあったとは思います。
親から離れて住む理由
いまなら母親の気持ちが少し理解できる。
教育を受けさせてもらったこと、大学を経験させてもらったことには感謝している。
わたしの場合、選択肢はそれほど広がらなかったけれど、弟はいちおう大手と言われる企業に就職、勤務でき、母親の願いは叶った。
しかしわたしも弟も、子供の頃、母親の支配下にあったあの頃の状況は忘れることはできないし、思い出しても良い気持ちはしない。
母親はわたしたち子どもの育て方を間違っていたのか、と聞かれると一概にはそうでないとは思う。
でも、その当時わたしたち子どもたちにはなたれた言葉や態度はもう記憶から消すことはできないし、どうしても許すことができないでいる。
過去のことをとやかく言ってもしかたない、許し合うことが大事、と言われてもむずかしい。
過去もそうだったように、いまも母親とわたしたち子供の関係はあまり変わっていないから。
しかしいつかは許すことを選ぶときがくるのだろうなとは想像しています。
わたしはできるだけ母親から離れて暮らしています。
ひんぱんに接触しないことがわたしの心の平穏を保つ唯一の方法。
母は母、わたしはわたし。
母親の呪縛は死ぬまで消えないだろうけれど、いまはできるだけ考えないで過ごす、それでわたしは毎日を穏やかに過ごせているのです。
毎日の暮らし、vlogでつづっています。